大阪ぶどう・
大阪ワインの歴史

大阪のぶどう

近鉄、河内国分駅でのぶどう出荷風景(1958年)
近鉄、河内国分駅でのぶどう出荷風景(1958年) *1

大阪は古くからのぶどう産地で、約300年前には家屋の日陰樹として植えられていたそうです。

本格的に栽培が始まったのは明治以降で、 1878年(明治11年)頃、当時の志紀郡沢田村(現在の藤井寺市沢田)に設けられた大阪府育苗園から柏原市に甲州種の苗が移植されたのがきっかけでした。この甲州種は明治政府の農業振興の施策により、東京の新宿御苑から配布されたものです。

その後、殖産興業政策の一環でぶどう栽培が奨励されますが、大正期にかけて河内の地域に一帯に拡がり、栽培地と消費地が近接する環境にあることから、昭和の初期には全国1位の生産量を誇るまでに発展しました。

柏原市、東山・安堂地区付近の風景(1955年)
柏原市、東山・安堂地区付近の風景(1955年) *2

戦争により一旦生産は縮小したものの、大戦後は復興して行きました。 しかし、高度経済成長に伴う宅地化の進展や台風による影響などで、次第に農家の経営面積が縮小して行きます。 そして、輸送技術の発達により山梨県はじめぶどう生産の盛んな地域へと生産高が移りました。 その一方、ハウス栽培の導入や種無しぶどう栽培の実用化、観光ぶどう狩りの推進、ピオーネやシャインマスカットなどの新品種の導入などの施策により、現在も多くのぶどう農家が意欲的に栽培へと取り組んでいます。

【主な大阪のぶどう産地】 大阪狭山市(大野台)、柏原市、交野市(神宮寺)、太子町、羽曳野市(五十音順)

*1,*2)いずれの写真も、柏原市ホームページ「写真で見るちょっと昔の柏原市」(昭和30年代)より引用

大阪のワイン

大阪府特産のぶどう・デラウェア
大阪府特産のぶどう・デラウェア *3

大阪には歴史の長いワイナリーが存在します。

1914年(大正3年)には柏原・太平寺の高井作次郎がカタシモ洋酒醸造所(現在のカタシモワインフード株式会社)を、1934年(昭和9年)には羽曳野・駒ヶ谷の金銅徳一が金徳屋洋酒醸造元(現在の株式会社河内ワイン)を設立。

折りしも、1934年の室戸台風来襲により被害を受けた大阪のぶどう産地では、特例でぶどう栽培農家に果実酒製造免許が与えられ、一時期は沢山の葡萄酒醸造元が生まれました。

そして、戦争を迎えると、潜水艦などのソナーに用いられる酒石酸を得る目的で今度は国策により大量の葡萄酒が製造されましたが、飲用目的では無かったこともあり戦後は急速に衰退します。

戦後は、幾度かのワインブームが到来しますが、ワインとして消費されるのは、海外からの輸入物やスーパーなどで販売されている海外原料由来の国内製造ワインが主体でした。

しかし、原料のぶどうから純日本産で、各地のワイナリーで製造される、いわゆる「日本ワイン」が質の向上もあって次第に注目され始めて来ました。 今では、全国各地で地域の風土に根ざした個性あるワインが次々と登場しております。 そして、2012年大阪ワイナリー協会が発足、老舗ワイナリーから都市型ワイナリーまで個性豊かな製造所(ワイナリー)が加盟し活動中です。

現在では、WTO(世界貿易機構)の発足に際し、ぶどう酒と蒸留酒の地理的表示の保護が加盟国の義務とされたことから、1994年(平成6年)に国税庁が「酒類の地理的表示(GI)」に関する制度を制定。 2021年(令和3年)6月30日には大阪が全国で5例あるぶどう酒のGIに指定されました。

*3)の写真は、羽曳野市観光協会Facebookページ より引用

【大阪のぶどう・ワインの歴史:参考文献】

  • ◆ 『大阪府におけるブドウ栽培の歴史的変遷に関する研究』 小寺正史 1987年(昭和62年)6月30日発行
  • 『大阪ワインの底力』 宮嵜晃臣 専修大学社会科学研究所 2017年度春季実態調査(大阪)特集号(専修大学社会科学研究所月報 (661・662) )
  • 『Birth of GI「大阪」《GI大阪誕生史》』 大阪国税局:2022年(令和4年)2月18日作成
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